ミスターSASUKEこと、山田さんが兵庫在住だということを思い出し、
どの辺に住んでるんだろう、と気にしすぎて
別大マラソン後編をアップするのを忘れていました・・・。
海部川風流マラソンとは前後しますが、
涙、涙の後編、アップしておきます。
■20km~25km■
ラップタイム:24分46秒(平均ペース 4分57秒)特にガス欠になったわけでもなく、どこか傷めた、という
わけでもなかったのですが、どうも足が重く、ペースが上がりません。
ずっと同じくらいのペースで来てた方にはどんどん抜かれて。。。
ちょっとツラい・・・。
別府を後にし、フェリーで到着した大分港を左手に見ながら、
大分市の市街地に入っていきます。
沿道の応援は途切れることがなく、素晴らしいものでした。
気を紛らわすため、沿道の応援の群衆に、前日挨拶した
客先の方を探す。
いない・・・。
確かオレンジのダウンジャケットを着ている、っていったけど。。。
パワーもらおうかと思ったけど、淡い希望でした。
■25km~30km■
ラップタイム:26分14秒(平均ペース 5分15秒)キロ5分もキープできなくなってますね。。。
大分市内、臨海産業道路を東に進みます。
産業道路というだけあって、道は広いです。
大分川を渡ると、ゴール地点の競技場が右手に見えるのですが、
自分が通過したとき、ちょうど一位の選手がゴールするところでした。
「自分はあと1時間30分もかけてここまで戻ってくるのか・・・」
精神的にもまたヘコみます。。。あうぅ。。。
最大で5分くらいあった貯金もだいぶん使い果たしました。
30km通過時点では若干の貯金がありましたが、多分
このペースでは35kmの関門が最後になるかも、と感じていました。
■30km~35km■
ラップタイム:28分03秒(平均ペース 5分37秒)身体は全然動かない。この時点ではまだ立ち止まってはいません。
産業道路から少し道幅の狭い市街地に入り、あとは35kmまで行けるかどうか
というところ。
いよいよ関門との戦い。
35kmの関門が間近に迫り、ほぼ並走していたおっちゃんに、
「頑張りましょう」的な声をかけてみる。
こういう時は共闘でしょ。
微妙に無視されてしまった。。。
一緒に頑張ろうよ~(苦笑)。おっちゃんも必死だったのかな。
どこぞの角を曲がって35地点の関門。
残り約30秒で通過!!
はうぅぅ~っ・・・。
■35km~■
ラップタイム:???(平均ペース ???秒)正直、体力的・精神的にも
ここで別大は終わりました。
30秒ほどだったので、
自分の後ろには数える程度のランナーしかいないはず。
前のおっちゃんが立ち止まって屈伸するのを見、
それに呼応するかのように、
自分もついに立ち止まって足を伸ばす・・・。
初めてのフルマラソンだったとくしまマラソンを思い出なぁ。
なんでこんな状態になったんやろ。
それなりに走ったつもりだったけどなぁ。。。
「大丈夫ですか?」
止まったりすると、当然、救護車に声をかけられます。
背後から来たヘロヘロの女性ランナーを含めた数人との
文字通りの”DEAD”ヒート(苦笑)最後尾付近にいると思われる自動車の”気配”が、
自分の走っている位置を知らせてくれます・・・。
沿道で応援してくれる人は、
「もうちょっと~。頑張って~」
と声をかけてくれるのですが、
「関門があるから多分ゴールできんのよ~」
と心の中で返事すること数回。
「男の子でしょ。頑張り~。」とおばちゃんに半笑い。。。
こんなヘロヘロランナーに応援してくれて、
本当にありがとうございました。
情けなかったですけど、嬉しかったですよ、ほんとに。
さて、自分はどこで止まるんでしょうか。
ふと疑問が湧いてきました。
40kmの関門通過は99.9%無理。
そこまで行けるのか?それとも、時間が来たら”ハイ終わり”、
なのか。
沿道の男性が、「持って行き!」
と水をペットボトルごとくれました。
持って走るのは正直面倒臭いんですけど、
親切心を無駄にしてはいけない、とず~っと持って行きましたよ。
あの時の男の人、ありがとう!浜町というところの角を左折する。
いよいよ制限時間が近づいてきました。
197号線まで行きたかったな。かつて自分が住んでいたマンションの前まで行きたかったな。ついに制限時間が来ました。どこからともなく、
「競技終了です。
ランナーの方は歩道に上がってください。」
の声。
時計と止め、歩道でひと休みして収容車を待ちます。
少し先に2人ほど止まっていたので近づき、
みんなで労をねぎらいました。
収容車が到着し、乗り込もうとすると、
沿道の人が
「お疲れ様!よー頑張った!」と声をかけてくれます。
思わず、
「ありがとうございます。また来ます!」と力強く宣言して収容車に乗り込みました。
あー、終わったなぁ、とタオルとドリンクをもらって座席に。
次々とランナーを拾って競技場に向かう車中、
車窓を眺めていたら、
自然と涙が溢れてきました。
地味な無地のタオルはこのためだったのか。。。
人生で悔し泣きしたのは初めてじゃないかな。関門との戦いになるかもしれないことは承知していましたが、
正直、完走はできるだろうと考えていました。
どこかが痛くなったわけでもないのに、
なぜスローダウンしたのか、いまだに分かりません。
意気揚々と乗り込んできたのにこのザマか。。。
情けない。。。こそっと周りを見渡すけど、泣いてる人なんていない。
みんな悔しくないのか?
かつて住んでいたマンションを左手に見て、大分川を渡って競技場へ。
バスはそのまま更衣室(体育館)へ。
体育館では、完走した方が、FINISHERと書いた、
完走者がもらえるタオルを手に、記念撮影をしてました。
いいなぁ~。
神戸のMちゃんさん、Nマルさん、
福岡のMたろうさん
と合流しましたが、
同じテンションを保つのは難しいですね。
ついていけない自分、申し訳なかったですね・・。
帰り際、ゴールの競技場の前を通過。
結局、競技場には入ることはありませんでした。ちょこっと入って空気を味わおうかな、とも考えましたが、
またいつか、リベンジする日が
きたら、
この競技場に入ろう!
じゃあな!大分!また来るわ!
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悔し泣き思い出しました。
俺の高校野球で、サ-ドランナ-であった俺が牽制球でアウトになった瞬間、甲子園の夢がたたれました。
でも、今となればいい思い出です。
同窓会では、いつもこの話題にのぼります。
TV中継していたせいか、学校では人気ものになりましたよ。
いやな意味で!
ストレ-トマンさん!
再度、チャレンジして下さい。
また来年、再来年、次の年とチャンスは毎年あります。
俺の高校時代は、戻りませんから(泣)
笑軍さん
そうだったんですか・・・。
また話聞かせてください!
仰る通り、何度もチャレンジする権利はありますから、
そういう意味では恵まれてますよね。
それに向かってまた進むことができますし。
絶対"忘れ物"取りに行きますよ
悔し泣き、できることはすばらしいと思います。
それだけ真剣に取り組んでいる証拠です。
私は、最近年のせいか涙腺がゆるくて、しょうもないこと(特に子ども関係)で涙してしまうことがあるのですが、残念ながら悔し泣きはないです。
真剣さが不足しているのかもしれませんが・・・
来年、絶対リベンジしましょうね。私も出てみようかな?
ころすけさん
今まで、ゴールしても、
「もっとやれたんちゃうかなぁ」っていうことが多く、
悔し涙や、嬉し涙を流すような走りをしてみたい、と
思っていたのですが、
こういう形で泣くとは思ってなかったですけどねー。
同じく、子供関係で涙腺ゆるむことは多いですね(笑)
別大の出場制限の緩和は、来年も継続されるだろう、
という話を聞きました。
自分は・・・・分かりません。
もちろんリベンジしたい気持ちもありますが、
成長したぞ、と実感してから、という気持ちもあります。
trackbackURL:http://straightman08.blog70.fc2.com/tb.php/635-2f349326
あの大会は、まだ運営側の態度が良けりゃ、印象も変わったんだと思うんですけどね。
自分が出てたら同じように吠えてたかもしれませんし。
神戸でも、水がストレートマンマラソンって遅い人ほど悲惨な目に遭うのか。タイトル基本的には、参加人数が増えるほど赤字になるんですけどね。
エントリーフィーは費用の一部で、多くはスポンサーの出資によって運営費がまかなわれている、っていうことをぶっさんマラソンって遅い人ほど悲惨な目に遭うのか。ほほうそうだったんですか。神戸も最後のほうは深刻な水不足でした~と聞きましたが、そりゃ、あんまりですね~。自分が給水、給食がなかったことがないので、そんなものかと無限ノリスケ逃走中~神戸マラソン編(その2)~コメントありがとうございました。>>不安Hさん(笑)
ほんと、恐るべしA嬢ですよ。始まってすぐに歩いてたんですよ!!
それでも最後まで走り切る。
やっぱり女性は根性ありますわ。
とほほ。。。お名前逃走中~神戸マラソン編(その2)~恐るべしA壌ゴールしてもハイテンションなスタミナA壌は要注意です。
あれだけ寄り道してもハンターからも逃げ切ったとほ不安Hとくしまマラソン2011振り返りコメントありがとうございます。又三郎さん、
当日はお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました。
新聞の件はお恥ずかしい限りで。。。(苦笑)
海部、行きますよ~。
テレビ映ってたんでストレートマンとくしまマラソン2011振り返りタイトルお疲れさまでした
新聞見ました。いい顔されてます。やはり強いランナーさんは、自己ベストだしてますね
私、目標タイムにも届かずヘタレてました。 やはり練習は、嘘つ又三郎